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【あ】
あいかわやき]相川焼
 佐渡相川鉱山の土を原料にした陶器。日用粗陶製品が多い。金太郎焼。無名異焼(むみょういやき)

[あいづほんごうまち]会津本郷町
 福島県の西部、大沼郡東端にある町。会津盆地南縁部にあたる北部は田園地帯だが、南部は標高400〜800mの山地となる。1903年(明治36)町制施行した本郷町がその後町域を広げ、92年(平成4)会津本郷町と町名を変更した。面積は40.14km2(一部境界未定)。人口は6628人(1997年)。会津若松城主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が若松城の屋根瓦としたのにはじまる本郷焼は、江戸時代になり、保科正之ら歴代会津藩主により奨励された。以後、焼物の里として知られ、近代以降も電気用碍子(がいし)生産などもくわえて発展した。本郷の常勝寺境内に陶祖堂があり、陶祖や磁祖の陶器像がまつられている。会津本郷焼資料館があり、毎年8月の第1日曜日には「せと市」が開かれ、多くの人々でにぎわう。

[あいづほんごうやき]会津本郷焼
 福島県大沼郡会津本郷町で焼かれている陶磁器。陶器は、17世紀半ばに会津藩主・保科正之の命で、美濃の陶工・水野源左衛門を招き、瓦とともに茶陶をつくらせたのが始まり。磁器は18世紀末よりつくり始めた。

[あおいど]青井戸
 井戸茶碗の一種。小振りで背も低く、やや開きかげんの茶碗。釉色が、青みを帯びていることからこの名がある。

[あおいんべ]青伊部
 伊部焼(備前焼)で青灰色に焼き上がったもの。青備前。

[あおえ]青絵
 磁器で碧(へき)色の釉(うわぐすり)を主とした上絵付け。また、その磁器。呉須(ごす)青絵。

[あおおりべ]青織部
 瀬戸系の陶窯で、古田織部の好みによって焼かれた陶器を総称して織部焼きと言い、そのなかで銅緑釉を多く使用した類を青織部と呼ぶ。

[あおからつ]青唐津
 唐津焼の中で釉が青みを帯びたもの。

[あおきもくべい]青木木米
 1767-1833年。京都の陶工。奥田頴川に陶技を学び、1807年には加賀藩の招きに応じて九谷焼を再興した。後に京都に戻った。中国明代の赤絵や染付の写しに優れた。

[あおじ]青瓷・青磁
 銅を用いた緑色の釉(うわぐすり)をかけた陶器。青磁のような染色。

[あおで]青手
 古九谷の一手で器面のほとんど全体を緑、黄、紫などの色彩で塗り埋めた手法の古九谷をいう。通常青手古九谷と呼ぶ。緑、黄の二彩古九谷や緑、黄、紫の三彩古九谷がある。赤は用いない。

[あおやき]青焼
 備前焼のなかで、青灰色を呈した肌のもの。粘土中の含有鉄分が還元作用を受けて出たものと、焼成中の最後に食塩を投げ込みその色が出たものがある。

[あかえ]赤絵
 赤を主とした上絵付けを施したもの。他に、緑、黄、紫などの色も使われる

[あかえしき]赤絵式
 ギリシア陶器の彩画法の一つ。背景を黒色で塗りつぶし、赤褐色の画像を浮かび上がらせる手法。[あかつやき]赤津焼 愛知県瀬戸市東端の窯業地赤津で産する茶器、茶碗などの焼き物。

[あかおりべ]赤織部
 青織部の白地の部分が赤いもの。または緑釉をまったく使用しない織部をいう。

[あかさか]赤坂
 次郎吉という人物が、筑後国(福岡県筑後市羽犬塚)で開窯したやきもの。年代など詳しいことは不明。一時途絶えたが、藩命により三原富次が再興。

[あかしやき]明石焼
 兵庫県明石で焼かれた陶器。一説によると元和元間(1615-1624)に戸田織部之助が赤浦で焼きだしたという。はじめは備前写しや三島写しの茶陶が焼かれ、ついで古京焼風の色絵が焼造された。明治年間には海外まで輸出されたが、大正年間に至り衰微した。

[あかだまで]赤玉手
 呉須赤絵のうち網目文様や花文様の中に日の丸のような赤丸を描いたもので、明末頃中国で焼かれた。皿、鉢、香合などに見られ中でも小さな香合は珍重される。日本の伊万里染錦にもこの手がある。

[あかつち]赤土
 火山灰が分解してできた赤褐色、または赤黄色の土で、鉄分を含み、粘りけがある。壁土または、れんがの材料とする。あかはに。赭(しゃ)土。

[あがのやき]上野焼
 福岡県田川郡赤池町上野で焼かれる陶器。文禄、慶長の役(1592-1598)に帰化した朝鮮陶工尊楷を陶祖とする。初期は土灰釉、藁灰釉、鉄釉が使われ、唐津や高取に似ている。後代の上野青釉(銅緑釉)や灰釉を使ったものは、現在でも受け継がれている。遠州七窯の一つ。高田焼、八代焼とも呼ぶ。

[あかはだやき]赤膚焼
 奈良市五条町付近で焼造された陶器で、遠州七窯の一つ。室町時代に土風炉などが焼造され、天正年間(1573-1592)に郡山の城主が常滑の陶工与九郎を招いて開窯させたとも言う。しかし、江戸中期頃までは不明。天明年間(1781-1789)に京都の陶工治兵衛らが五条山で開窯。まもなく柳沢堯山侯の後援を得て、盛業が続いた。奥田木白が名工として著名。

[あかはだやま]赤膚山
 奈良市西方五条山のこと。唐招提寺の西にある不毛の山で、赤土は赤膚焼の原料となる。波唳岳岬(はだのおか)。

[あからく]赤楽
 楽焼の一種。素地を酸化鉄で化粧掛けし、透明の釉をかけ低温度で焼く。

[あきくさ]秋草
 李朝染付の代表的な文様、草花文様のこと。

[あこうやき]赤穂焼
 兵庫県赤穂市の焼き物。幕末大島宗舟が江戸今戸焼に陶法をならい、この地に開窯。雲華焼を主としたが、楽焼、交趾写しなども作っている。

[あこぎやき]阿漕焼
 三重県津で焼造された安東焼を復興したもので、再興安東焼ともいう。倉田久八が文久年間(1861-1864)に津の船頭町で焼造。その 後断続をつづけながら現在に至る。

[あこだがた]阿古陀形
 あこだ瓜の形。中央がくびれたまるい形の種々の物にいう。青磁などの円形ですそが張った磁器。六角形で上下のすぼまったぼんぼり。室町時代に流行した筋兜(すじかぶと)の鉢の形状。頂を低く、前後を高く張り出した円鉢。

[あさがおなり]朝顔形
 茶碗、籠などが朝顔の花の形をしていること。また、そのもの。

[あさがおばち]朝顔鉢
 朝顔の花の形をした陶器製の植木鉢。朝顔を植える植木鉢。

[あさくらさんしょう]朝倉山桝
 兵庫県丹波の名産浅倉山椒を入れた六角の壷。上部に「朝倉山桝」の印がある。丹波焼独特の黒・飴釉で、花入などに使われている。

[あさのやき]浅野焼
 江戸中期、加賀の大樋焼(おおひやき)の流れをひく楽焼。黒または飴色の釉(うわぐすり)を用いた。

[あさひけん]朝日軒
 朝日軒棚吉作の陶器。明治年間三重県伊勢山田で焼かれた。雅致に富む。

[あさひやき]朝日焼
 京都市宇治市で焼かれている陶器。遠州七窯の一つ。奥村次郎右衛門が慶長年間(1595-1615年)に開窯したといわれる。二代目のとき小堀遠州の指導を受け、以来茶陶をつくり続けている。釉肌に斑点が浮かぶ、御本と呼ばれる窯変が特徴。

[あさひやき]旭焼
 毛筆の彩画に無色の釉(うわぐすり)をかけた石灰質の陶器。明治一六年頃、ドイツ人ワグネルおよび植田豊橘の始めたもので、装飾品を主とし、初め吾妻焼(あずまやき)と呼んだ。明治三三、四年頃に廃絶した。



[あつで]厚手
 性状や物事の状態などに厚みのあること。現在では主に紙、織物、陶器などにいう。「厚手の茶碗」

[あつみ]渥美
 平安時代末から鎌倉時代にかけ、愛知県の渥美半島一円において焼かれた中世の焼締陶。壷・甕・すり鉢などを量産し、全国に運ばれた。焼成のしっかりしたものは、表面が黒く光る。

[あとえ]後絵
 本来なかった絵を、後で描き加えたもの。染付の作品に上絵を施し、高く見せようとすることなど。

[あとがま]後窯
 陶磁器を本窯で焼いた後、さらに錦窯で絵模様を焼き付けすること。千利休、古田織部、小堀遠州にわたる時代に、瀬戸または京都で作られた瀬戸風の茶入れ。

[あながま]窖窯・穴窯
 斜面を堀り、天井だけを築いている古窯の一形態。多くは単室で天井の一方に差木孔が開けてある。

[あぶらげで]油揚げ手
 黄瀬戸のあやめ文様輪花鉢のこと。薄づくりで、油を薄く塗ったようなあぶらげのような肌合いをしていることから、こう呼ばれた。また、形態に関係なく黄瀬戸の肌のことをいう場合がある。菖蒲手(あやめで)ともいう。

[あぶらざら]油皿
 あんどん皿ともいう。あんどん用の油受け皿。円形扁平な器形をもつ皿。

[あぶらつぼ]油壺
 整髪用の油を入れる小徳利。伊万里焼、瀕戸焼その他がある。

[あぶりたき]あぶり焚き
 焼成の初めに400〜500度までゆっくり温度を上げていくこと。水分を飛ばすことが目的。

[あまくさとうせき]天草陶石
 熊本県天草下島で採れる陶石。17世紀の終わり頃に有田焼に用いられていた泉山陶石より優れていることがわかり、磁器の原料として多く使われるようになった。

[あまくさやき]天草焼
 天草島から産する陶器。天草石を原料とし、主に茶器、菓子器、花瓶などを製する。水の平(たいら)焼。

[あまもり]雨漏
 朝鮮の茶碗で、永年の使用により、各所に浸みができ、それがさながら天井や璧に雨漏の浸みのように見えるので、このように茶人が 呼びならわしたものである。

[あまもりかたで]雨漏堅手
 高麗茶碗の一種。硬質の堅手のなかで、雨漏りに似た性質をもったものをいう。

[あまやき]尼焼
 楽焼の始祖、朝鮮渡来の阿米夜(あめや)の妻比丘尼作の茶碗。阿米夜の子長次郎の妻ともいわれる。

[あみあげで]編上手
 土紐を編み上げて籠状に形作るか型に貼りつけて成型する方法。前者は透かし彫りの感じを出す。

[あみがさ]編笠
 高麗茶碗の刷毛目によく見られるもので形が編み笠状にゆがんだもの。御本や京焼にも見られる。茶味がある茶碗として茶人に珍重された。

[あみで]網手
 網目模様を染め付けた磁器。サラサ模様で、地に網状の模様があるもの。

[あみめもん]網目文
 網文ともいう。白地に呉須の藍や赤で網目の連続模様を描いたもの。切れ目のないところから、長寿を表すといわれる。網の手(あみのて)ともいう。



[あめぢまき]飴粽
 色が飴に似ている粽。交趾焼(こうちやき)の壺の花瓶。

[あめや]阿米夜・飴也
 楽初代長次郎の父。朝鮮渡来というが不明。桃山時代初期、京都で瓦を主に焼いたが、のち加茂黒石を釉として楽焼の基礎をつくった。

[あめゆう・あめぐすり]飴釉
 茶褐色の透明釉。長石に酸化鉄か酸化マンガンを加えたもの。

[あやめで]菖蒲手
 室町時代末から桃山時代にかけて美濃で焼かれた黄瀬戸の優品をいう。箆描きで花文、特にあやめ文を描き、緑釉(丹礬)や鉄絵具が施されている。多くは半筒型でもとは向付など食器として作られたものを転用した茶碗が主だが、鉦鉢にも見られる。釉調が油揚げのような肌合いをしているところから、油揚手(あぶらげで)ともいう。肌のなめらかな黄瀬戸はぐい呑手という。

[あらかわとよぞう]荒川豊蔵
 1894-1985年。陶芸家。桃山志野の復元に挑戦した。多治見市の大萱牟田洞で志野の陶片を掘し、それまで瀬戸産と考えられていた志野、瀬戸黒、黄瀬戸が美濃で焼かれていたことを証明した。

[あらつち]荒土
 信楽荒土など、水簸(すいひ)して分類された目の粗い土。多少砂粒が混じっているため、ざらざらとした肌合いになる。

[あらねり]荒練り
 粘土の表面と内部の固さを均一にするため粘土を折り畳みながら、練ること。


[ありたまち]有田町
佐賀県西部、有田川の上流にある窯業の町。西松浦郡に属し、南は長崎県と接する。1954年(昭和29)有田町と東有田町が合併して成立。56年には西有田村曲川(まがりかわ)の一部を編入する。面積は27.09km2。人口1万3640人(1997年)。伊万里湾にそそぐ有田川上流域の渓谷に、何十代もつづく約150軒の窯元が軒をつらねる。かつては美術工芸品や和食器類の生産が中心だったが、現在では工業用品、タイル、碍子(がいし)が全生産量の70%をこえ、洋食器類や磁器製玩具も増大している。近年、約6万8000m2の有田焼卸(おろし)団地が完成した。陶磁器で知られるドイツのマイセンと姉妹都市で、東西の磁器を展示する有田ポーセリンパークや、有田陶磁美術館、九州陶磁文化館などの施設もあり、毎年春に開かれる有田陶器市は70万人をこす人出でにぎわう。有田焼の歴史は、文禄・慶長の役(1592〜98)の際に朝鮮半島からつれてこられた陶工の李参平が、1616年(元和2)に泉山で良質の白磁鉱を発見したことにはじまる。1640年代には酒井田柿右衛門が赤絵の技法を成功させ、製品は伊万里港から東アジアやヨーロッパまではこばれた。町域には天狗谷(てんぐだに)古窯跡など創業時の窯跡が数多くのこり、登り窯の廃材などでつくったトンバイ塀がつづく町並みは、重要伝統的建造物群保存地区(町並み保存)に指定されている。陶山神社は桜や紅葉の名所で、陶製の狛犬(こまいぬ)や大鳥居がある。

[ありたやき]有田焼
 佐賀県西松浦郡有田町周辺で焼かれる磁器の総称。陶祖は文禄、慶長の役(1592-1598)の時、鍋島直茂に連れてこられた李参平。この李参平が有田町泉山で白磁鉱を発見し日本で最初の磁器を焼いたとされる。江戸時代、伊万里津から船で積み出されたため、当時のものを古伊万里という。

[ありまふで]有馬筆
 名物の型物香合の一つをいう。呉須で小ぶりの角形、蓋の甲に小さな豆人形のつまみがあるが、このつまみが有馬温泉土産の有馬筆を逆さにしたとき軸の端から飛び出す仕掛けになっている小さな豆人形に似ているのにちなんで名付けられた。

[アルミナ]Al2O3
 酸化アルミニウムのことで化学式はAl2O3。釉薬を素地に付着させる役割を持つ。長石に多く含まれる成分。

[あわじやき]淡路焼
 淡路島の陶器。文政年間(1818-1830)に賀集民平が創業した。民平の作風は栗田焼に似て、土質が柔らかく鮮明な彩りである。民平没後に段馭廬焼や茶金釉などを出した。

[あわたやき]粟田焼
 京都市東山区栗田付近で焼かれた陶器。近ごろ京焼では清水焼が磁器で、栗田焼は陶器を主として焼造している。古くは栗田口焼があ り、岩倉山・錦光山・宝山などが著名。

[あわたぐちやき]粟田口焼
 江戸時代初期に瀬戸の陶工三文字屋九右衛門が京都市東山区粟田付近に開窯した、京焼最古の窯。

[あんとうやき]安東焼
 三重県津市で焼かれた陶器。安永・天明(1772-1789)ごろに、津の藩主藤堂高豊侯が、万古焼の沼波弄山(ぬなみろうざん)の陶工であった瑞牙を招いて安東村で焼かせたのがはじめである。作調は古万古風の色絵を主とするが、なかには焼締め無釉の素地に色絵付したものもあり、これが古安東の特色の一つにもなっている。

[あんどんざら]行燈皿
 灯明皿ともいう。油を入れ、それを燃やして室内照明とした。

[あんなんやき]安南焼
 べトナムの陶磁器に対する総称。11世紀には、中国の影響を受けた青磁、白磁の他に黒釉、染付、赤絵や黄釉鉄絵というベトナム独自の陶磁器が焼かれた。無地安南と呉須安南の二種があり、わが国に古く渡来したものは茶人のあいだで珍重されている。

[あかえ]
赤を主体とした緑、黄、紫、青など、多彩の上絵付けのこと。釉薬の上にガラ質透明な絵の具で彩色 をする。
ただし赤だけは他の釉薬と異なり不透明で層が薄い。 色絵とも言う。

[阿古蛇](あこだ)
蒔絵の香炉の形態の一種で、その形が丁度かぼちゃを輪切りにしたように見えるところから呼ばれた、
かぼちゃは西瓜の字をあてたり、別に阿古蛇とも呼ばれる。五花形ないしは花形で裾が張っている。

[油気肌](あぶらぎはだ)
黄瀬戸の出来具合の一種で、その様子が石の表面へ油を薄く流したように見えるところから呼ばれる
肌合い。この肌の黄瀬戸は最上手と考えられ、
見た目の深い落ち着きから茶懐石の器として珍重される。

雨漏手(あまもりて)
高麗茶碗の一種で使い込むにしたがって茶碗の内外に雨の漏ったような染み跡がでてくるところから呼 ばれた名称である。
窯の中ですでに染み跡が出来るものもあり、粉引きや堅手の茶碗に見られる

[荒磯](あらいそ)
波間に躍る鯉の文様を呼ぶ言葉で、もとは裂地の柄であったもの、元禄時代の献上手と呼ばれるごとく
上手の伊万里焼きがこの図を用いたために、焼き物の世界では色絵型物伊万里のこの手のものを呼ぶ言葉 になった。

[新物](あらもの)
陶磁器の場合に、古陶磁器に対して新作品を指して呼ぶ言葉。世間一般には新物といえば、
雑貨や小間物 を指して荒物の字をあてている。古美術骨董の場合は、陶磁器以外に塗物や掛軸に使われることもある。

[合わせ箱](あわせばこ)
品物が本来の箱に入っていないで、それらしい別の箱に入っている事を指す。
茶道具に代表される伝統的 な品には箱の味わいが価値を決める重要なポイントになるので、
よりよい調子の箱を合わせることがある。

[安南焼](あんなんやき)
ベトナムの焼き物の総称である。殆どが半磁器質で、染付けをはじめとして青磁や赤絵がつくられている。
茶人の間で喜ばれた安南絞り手とは、灰分が多いため釉薬が流されて、 文様が染み出したものを指す言葉である。

【い】#TOP

やきもの用語 い
76語
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[いがやき]伊賀焼
 伊賀国(三重県)阿山郡で天平年間(729-749)につくられた陶器の総称。地理的に近い信楽とは、技術的にも花崗岩系の原料も同系に属する。焼締め陶で青ビードロ釉薬や石はぜが、伊賀焼の特徴といえる。

[いけのぼうせんおう]池坊専応
 生没年不詳。戦国時代の池坊花道の樹立者。1523年の『花伝書』をはじめ、伝書を著わして立華の構成理論を打ち立てた。

[いこみ]鋳込み
 成型法の一つで、石膏の型に泥漿(水に溶かした陶土)を流し込み、石膏の吸水性を利用して成型する方法。複雑な形や、薄づくりのものに用いる。

[いさわばんこ]射和万古
 三重県松阪市射和町で焼かれた万古焼の一派である。万古の創始者沼波弄山の姻戚者竹川竹斎がはじめたもの。

[いしぐろむねまろ]石黒宗麿
 1893-1968年。陶芸家。中国の唐や宋代の技法を解明し、磁州窯の掻落、木の葉天目の再現や柿釉、黒釉、飴釉などを駆使した個性的な作品を残した。

[いしごき]石御器
 茶碗の異称。

[いしざら]石皿
 茶屋の煮染め皿として用いられた陶器質もしくは、せっ器質の皿。呉須や鉄砂の淡彩で絵が描かれている。愛知県、岐阜県で焼造された大量生産の雑器である。絵付のあるものは、その独特の民芸調の味で喜ばれている。

[いしばいぐすり]石灰釉
 陶器を焼くときにぬる釉(うわぐすり)のうち、比較的多量のカルシウム分を含むもの。

[いしはぜ]石爆
 素地に含まれた小石が、焼けはぜて露出すること。茶人は一種の景色とみたてて珍重した。

[いしばち]石鉢
 石をくりぬいて作った鉢。手水鉢(ちょうずばち)などに使用。(石焼きの鉢の意)磁器製の鉢。

[いずしちょう] 出石町
 兵庫県北東部、出石郡の町。北は豊岡市と京都府に接する。東からながれこむ出石川が、町の中央で向きをかえて北上し、流域周辺の盆地に市街地が形成されている。川にそって国道426号、482号がとおる。1889年(明治22)町制施行。1957年(昭和32)室埴(むろはに)、小坂、神美(かみよし)の3村を合併する。面積は89.13km2。人口は1万1204人(1997年)。現在は観光都市として注目され、年間約80万人の観光客がおとずれている。町内には、辰(たつ)の刻(午前8時)に登城の合図を太鼓の音でおくっていた辰鼓櫓(しんこやぐら)、1968年に復元された出石城隅櫓(すみやぐら)、武家屋敷など、城下町の面影が随所にのこる。白色磁器を中心とする出石焼は18世紀後半にはじまる伝統工芸で、その小皿にもりつける出石そばは、皿そばともよばれ名物になっている。町立の歴史資料館として出石町史料館がある。

[いずしやき]出石焼
 兵庫県出石町で焼造された磁器。創始は明和元年(1764)長谷治郎兵衛と伊豆屋弥左衛門が出石町細見で開窯した土焼窯であるが、 のち享和元年(1801)出石町谷山に移窯して、伊万里風の磁器を焼き、盛業をみた。

[いすばい]柞灰
 柞(いすのき)を燃やしてつくった灰。磁器釉の媒溶剤に適し、古くから有田焼などに使用。大隅、日向地方が主産地。

[いずもやき]出雲焼
 島根県で焼造された陶磁器。楽山、布志名など多くの窯がある。

[いせで]伊勢手
 伊勢と尾張との国境で焼いた瀬戸焼の茶入れ。

[いせてんもく]伊勢天目
 唐物の天目茶碗を写した和物天目茶碗の一種。瀬戸天目、白天目、菊花天目、燕天目などがあるが伊勢天目がもっとも早く桃山時代の茶会記にあらわれている。しかし、遺品の中のどれが伊勢天目か特定はできない。

[いそおにわやき]磯御庭焼
 陶器の薩摩焼の一つ。嘉永六年藩主島津斉彬が、別邸のあった磯(鹿児島市吉野町)で製造したのに始まる。昭和二年頃まで続いた。

[いそやき]磯焼
 薩摩藩の御庭焼。幕末の名君島津斉彬は富国強兵をはかって、嘉永6年(1853)鹿児島市外吉野村磯別邸内に製鉄から紡績、ガラス など各種産業の研究をやらせた。安政2年(1855)には窯場を新設、磁器を多く作り、洋釉薬の研究をもしている。

[いたおこし]板起こし
 器の成形がすんだのち、ロクロの回転をとめ、竹箆で器をロクロの上から起こし取ること。

[いたみやき]伊丹焼
 摂津国(兵庫県)伊丹地方で近衛家煕(予楽院)が焼いた御庭焼。家煕の言行を筆録した「槐記」(茶の湯の記事が多い)の享保12年(1727)に記録があるのでそのころ焼かれたと思われる。

[いたやはざん]板谷波山
 1872-1963年。陶芸家。近代陶芸界における官展系の指導者。磁器を中心とする彼の作品は、端正な形と薄彫りの文様が特徴であった。

[いたりあやき]イタリア焼
 イタリアで作られる陶器、特にマジョリカの古称。

[いちげん]一元
 寛文2年-享保7年(1662-1722)。楽の脇窯玉水焼の初代。楽家4代一入の子、通称弥兵衛が一入の没後、山城国(京都府)玉水で始めた楽焼。作品には一入をならった茶碗が多く、赤楽の光悦写しにも優れていた。

[いちにゅう]一入
 楽四代。三代道入(ノンコウ)の子。寛永17年(1640)生まれ、元禄9年(1696)の没。黒の中にやや青味または赤味を帯びた特色のある楽茶碗をのこしている。

[いちのくらがま]市之倉窯
 岐阜県多治見市市之倉にある窯。文禄の頃、加藤輿左衛門常政がこの地から出る粘土に魅力を感じて開窯。盃は全国生産の九割を占む。

[いちもんじこうごう]一文字香合
 円形で蓋の甲が平らで薄めの形のもの。真横から一文字に見えるのでこう呼ばれる。志野焼の一文字香合は有名。

[イチョン]利川
 大韓民国の北西部、キョンギ(京畿)道の都市。かつては綿花の産地だったが、近年は陶芸の町として知られる。面積は463km2。人口は、現在16万1243人(1996年)。ソウルの南東の稲作地帯の一角にある。北西に位置するシンドン(新屯)地区は、「陶芸村」として知られ、大小あわせて百数十軒もの窯場があつまっている。隣接するクァンジュ(広州)郡もふくめたこの地域一帯は、良質の陶土と水にめぐまれ、伝統的に陶器生産がおこなわれてきたが、現在のように窯場が集中したのは、朝鮮戦争後の1960年代以降である。当地における陶芸の先駆となったのは、高麗青磁の再現で知られる人間文化財(人間国宝)柳海剛(ユ・ヘガン)であり、海剛美術館には、彼の収集した陶磁器などがあつめられている。

[いちらくにはぎさんからつ]一楽二萩三唐津
 茶道で茶碗のランクをつけて表現した言葉。楽焼、萩焼、唐津焼の順に格が高いということ。

[いっかんじん]一閑人
 装飾の一つ。器の口縁などに小さな人形が一つついたもの。方形の井戸枠の一辺に唐風の人物をとりつけ、ちょうど一人の閑人が井戸をのぞいているような姿形をしているところからこの名がある。別名、井戸のぞきとも呼ばれ、七種蓋置(穂屋、五徳、三つ人形、栄螺、三つ葉、蟹、一閑人)の一つに数えられる。なお向かいあった2辺に人物がいるものを二閑人、井戸枠だけで人物のいないものを無閑人という。青磁、京焼に見られる。

[いっくう]一空
 宝永6年-享保15年(1709-1730)。玉水焼初代一元の長男で通称弥兵衛。一元の技術を受け継いだが早世した。

[いっちんがき]イッチン描き
 装飾法の一つで、イッチンは盛り上げ文様を描く道具で、和紙などで作られ、口金がついている。これに泥漿を入れ押し出して描く。単にイッチン、筒描きともいう。

[いっぽうどうやき]一方堂焼
 京都の豪商角倉元寧が文化年間(1804-1818)に嵯峨の別邸内に築窯し仁阿弥道八を招いて製作に当たらせた。色絵、楽焼、交趾写しなどの茶陶を焼き、元寧の号「一方堂」の印を捺した。

[いとうとうざん]伊東陶山
 1864-1920年。陶芸家。陶土や釉薬の研究を重ね、粟田口焼の伝統に新しい作風をもたらした。

[いとかぎ]糸鉤
 生糸繰糸機械などで、糸をわくに導く金属製、ガラス製または陶器製の小さなかぎ。

[いときり]糸切り
 ロクロ成形の際、器をロクロから外すのにより糸を使って切り離す。その際にできた細い渦状の痕をいう。右回りのロクロでは渦の中心が右に寄り、右糸切(順糸切)といい、左回りでは左糸切(逆糸切)となる。作行の見どころの一つとされている。

[いとぞこ]糸底
 陶磁器の底のこと。語源は糸切りによるが、糸切りによる底だけでなく、削りだした高台などもいう。

[いどちゃわん]井戸茶碗
 茶人に最も珍重された朝鮮茶碗。焼成時期は6〜700年前。大井戸(名物手)、小井戸(古井戸)、青井戸、小貫入、井戸脇などに分かれる。色は小麦色や枇杷(びわ)色で口づくりが厚く、高台も高くて重厚な作風をもつ。

[いどやき]井戸焼
 肥後国(熊本県)の焼物師井戸新九郎が焼いた磁器。

[いどわき]井戸脇
 朝鮮産井戸茶碗のうちの一種。井戸脇とは井戸のわきであるというほどの字義どおりの名称である。ランク付けをあらわす名称で、青井戸よりも粗品であるとされる。

[いぬやまやき]犬山焼
 愛知県犬山市丸山で焼きだされた陶器。宝暦年間(1751-1764)の創始にかかるもの。はじめ茶陶を焼き、のち京焼風のものに転じた。天保頃からは呉須赤絵写しが多くなった。

[いはちけんざん]伊八乾山
 生没年不詳。仁清の子とも二代仁清の庶子ともいわれるが明らかでない。乾山の作陶に従い、乾山が江戸に下ってからその窯を継ぎ世に二代乾山といわれた。

[いまえもん]今右衛門
 佐賀県有田の窯元、代々今泉今右衛門を名のる。現在は十三代目。絵付を専業とし、鍋島侯の御用窯として栄えた。昭和45年(1970)、重要無形文化財に「今右衛門窯色鍋島技術保存会」が総合指定された。当代の13代今泉今右衛門も1989年、人間国宝に指定されている。

[いまどにんぎょう]今戸人形
 今戸焼の人形。富士見西行、おいらん、すもう、猟師、狸の腹鼓、狐、猫、福助など。

[いまどやき]今戸焼
 天正年間(1573-1592年)頃、千葉家の一族が現在の東京都台東区に開窯し瓦や土器をつくった。後に今戸焼人形といわれる、塑像が知られる。

[いまやき]今焼
 一般的には古陶に対する新陶の意味で使われるが、もともと桃山期から江戸時代にかけて珍重された唐物茶碗に対して国内で焼かれだした長次郎の楽茶碗や瀬戸茶碗をさしたものである。荒焼(新焼)ともいう。

[いまりづち]伊万里土
 佐賀県伊万里付近に産する上等な白土。伊万里焼の原料となる。

[いまりやき]伊万里焼
 佐賀県伊万里市で焼かれた磁器。有田焼とほぼ同じ。

[いまわたり]今渡
 江戸時代中期以降、日本に舶載された茶道具類のうち享保以降に渡ってきたものについて用いた言葉。

[いもがしら]芋頭
 水指などに見られる形の一種で口がすぼみ、胴がふくらんで里芋の形に似たもの。古染付、三島、南蛮などに名品がある。「山上宗二記」には、紹鴎所持の南蛮芋頭水指が記載されている。

[いものこ]芋の子
 親芋についている小さな芋。(その形が似ているところから)瀬戸焼の茶入れの一種。

[いらぼ]伊羅保
 高麗茶碗の一つ。鉄分の多い粗い土を引きロクロ目がはっきりしているのが特徴で、手触りがイライラするというところからこの名がついたといわれる。やや厚手、深めで赤褐色の素地に黄緑色のいわゆる伊羅保釉が掛かる。口縁にベベラ(土切れ)のあるのが約束である。片身替伊羅保、釘彫伊羅保、黄伊羅保などに分けられる。

[いらぼゆう]伊羅保釉
 一般に、木灰と黄土もしくは木灰と来待石で調合される釉薬で、焼成すると黄や褐色になる。

[いりやけんざん]入谷乾山
 尾形乾山が晩年に住んだ江戸入谷で焼いた陶器をいう。また乾山の三代目を称した宮崎富之助が入谷に住んだのでその作を入谷乾山と呼んだという説もある。

[いれこぶた]入子蓋
 器の中に蓋を入れ、器の上面と蓋が同平面になるように作った蓋。

[いれこほてい]入子布袋
 恵比須講で売られる縁起物の一つ。土を焼いて作った、大小二つの入れ子になる布袋和尚の立像。普通、かまどの上の棚に安置して、一家の繁栄を願う。

[いろえ]色絵
 軟質の色釉による上絵付けのこと。

[いろえなべしま・いろなべしま]色絵鍋島・色鍋島
 佐賀鍋島藩御用窯で焼いた精巧な色絵物。色鍋島。大河内焼。

[いろえびぜん]色絵備前
 備前焼の一つ。宝永年間、備前藩主池田綱正が後楽園で焼かせた。素焼に胡粉を地塗りし、彩色したもの。色備前。

[いろみ]色見
 窯の適当な場所に数カ所、焼成するやきものと同質の小物を入れておき、焼成中そのつど取り出して状態を見るためのもの。ドイツのゼーゲルらによって開発されたゼーゲル錐はこの一種。

[いろみあな]色見孔
 窯の内部の陶磁器の焼け具合を見るためにとりつける小さい窓。また、窯の中の焼加減を見るための試験品を取り出す穴。

[いわいべ]斎瓮
 清浄な神饌具。酒を盛って神に供える陶器の壺。いむへ。

[いわいべどき]祝部土器
 わが国の古墳時代の遺跡から発掘された陶質土器。ねずみ色の堅い素焼き。陶器(すえのうつわ)。

[いわおやき]巌焼
 石見国那賀郡長浜村(島根県浜田市)で、文政ごろに創ったと伝えられる焼物。亀、かに、猿などの動物をかたどった細工ものが主で、楽焼に近い軟質陶。長浜焼。

[いわさきこやた]岩崎小彌太
 1879-1945年。実業家。中国陶磁の調査研究を援助し、自らも厖大に蒐集。それらは現在、静嘉堂文庫美術館に収蔵されている。

[いわみやき]石見焼
 島根県大田市、邇摩郡、江津市、浜田市の三十余の陶器窯から産する日用粗陶器。宝暦年間に始まったとされる。

[いんか]印花
 装飾技法の一つ。成形のあと乾燥前の素地に印刻などで模様を施す。

[いんかもん]印花文
 押型模様。押印文。

[いんきゅうざんやき]因久山焼
 鳥取県郡家町の陶器。因幡国久能寺という地名から、窯名がつけられた。明和年間(1754-1772年)に京都より陶工を迎え開窯した。

[いんきょ]殷墟
 中国、河南省安陽県小屯村にある中国古代の殷王朝の都の遺跡。土壇の上に宮殿の礎石があり、土壇の周囲に多くの竪穴式住居、郊外には陶器、銅器を作る職人の工場と住居の遺跡が多数ある。また、侯家荘などの大墓には、多数の侍従、婢妾の殉葬がみられ、墓室から豪華な青銅器、玉器などの美術品が発見された。

[いんきょいん]隠居印
 隠居判ともいう。千家十職のうち楽茶碗を焼く楽家の歴代印譜の一つ。九代了入のときから隠居前の楽印と区別する意味で代を譲って隠居後は印判を変えるようになった。

[イングレーズ]inglaze
 下絵付けのこと。または、上絵付けで釉に溶け込み、下絵付けのように見える絵の具のこと。

[いんこくもん]陰刻文
 櫛目文、引花文、彫刻文、掻き落とし文など、彫ったり削ったりしてつける凹形の文様。

[いんちん]影青
 青白磁(せいはくじ)。中国で影青(いんちん)と呼ばれる。中国宋代と元代に主に景徳鎮で焼かれた青みを帯びた白磁のこと。陰刻などの文様部分は釉が厚く青みが強くなる。

[いんばん]印判
 同じ模様の作品を多数作るための絵付け技法。型紙、銅板、ゴム印などを使用する

[いんばんで]印判手
 同一文様の器を量産するための染付の技法で作られたもの。初期の伊万里焼では判を直接器に捺して文様とするコンニャク印判や型紙摺りが行われたが、明治時代には銅板転写が盛んになった。今はあまり使われていない。

[いんべで]伊部手
 備前焼のことを、一般に伊部焼とも呼ぶ。伊部手とは、なかでも胎土と同じ土を薄く表面に塗り、光沢を出したものをいう。。

[いんべやき]伊部焼
 一般に備前焼と呼ぶ備前国(岡山県)のせっ器。茶壺、茶碗、酒壜、置物を得意とする。胡麻釉がかかり、光沢のあるものを特に伊部焼とも呼ぶ。伊部の語源は古代、祭器(須恵器)をつかさどる忌部氏に出たもの。

[生盛](いけもり)
直径5寸程のやや深めの小皿の呼び名であるが、地方によっては別にナマス鉢とも呼ばれている。
数十人前というようにかず物として作られた日常食器。現在の食卓には、向付として使われている。


[石外ぜ](いしはぜ)
陶磁器の焼成中に、窯の中で石などが表面に付着してそのまま焼き上がれば、それをイシヅキと呼び、
後に これを除いて出来た釉薬の後をイシハゼと呼ぶ。品物によってはこの様子を景色として鑑賞する。

[一閑張](いっかんばり)
香合などの茶器や菓子皿などの器の原型を作り、それに漆や糊を用いて和紙を張り重ねて、後で型を抜き、
上に漆を塗って完成させたもの。軽くて丈夫であり、雅趣に富んでいる飛来一閑の考案によるといわれる。

[イッチン]
陶磁器の肌に高盛の線をを描く場合に使われる。渋紙を引いた丈夫な錐状の袋に真鍮のとび口を付けて、
中に”でいしょう”を入れ、これを指で押し出して走り書きした。はじめは染め物に使われていたものが、 陶磁器に利用された。

[一閑人](いっかんじん)
井戸枠の形をした蓋置や鉢などの片側に、人形がへばりついて、内側を覗き込んでいる形のものがある。
丁度その様子が暇な人が井戸を覗き込んでいるように見えるところから、名付けられた。

[糸印](いといん)
小型の銅製の印鑑である。これは室町時代に明から輸入される生糸につけられていたもので、
到着時に 目方の正確な事を確かめたうえ、受領書にこれを捺印して送り返したものである。文人趣味の品のひとつ

[伊羅保](いらぼ)
高麗茶碗の一種で土味が荒々しく轆轤の跡も際立っている。釘彫伊羅保、黄伊羅保など種類が多く、
昔から茶人の間で愛玩されてきた。手にした感じも見た目にも、荒々しく感じるところから呼ばれた名称。

[印判手](いんばんて)
明治時代になって染め付けの顔料が、コバルトの化学染料としてヨーロッパから輸入されるようになった。
初めのドイツのベロリン(ベルリン)からもたらされたので、この鮮やかな色調のことをベロインのベロ と藍を付けて、
ベロ藍と呼んだ。印版手は大量生産品であり安価でしたので。

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[うえだそうほん]上田宗品
 明治6年(1769)。江戸時代中期の奈良の土風炉師。雲華焼(うんげやき)の風炉、手焙、火入、灰器などを作り茶人に人気があった。小判形の宗品名印を使用。

[ウェッジ・ウッド]Wedgwood
 イギリス・スタンフォードシャーに、1750年頃にウェッジウッドが陶器工場を開いたのが始まり。クリーム色の陶器であるクリーム・ウェアや王室の奨励により開発したクィーンズ・ウェアで名をあげ、世界に市場を広げた。

[ウェンチョウ]温州
 中華人民共和国東部チョーチアン(浙江)省の南東部にある省轄市(省が管轄する市)。東シナ海に近く、オウ(甌)江河口の南岸に位置する港湾都市。同省のハンチョウ(杭州)、ニンポー(寧波)につぐ第3の都市。気候が温暖なため、温州の名をえた。面積は1万1784km2(市区は1082km2)。人口は698万人(市区は113万人、1995年)。「明礬石の都」として有名で埋蔵量は世界の60%、中国の80%を占める。稲作のほか、ミカン、茶、イグサ、牛などの農畜産物で知られる。古くから、乳製品、皮革、磁器、傘、ござなどの手工業が盛んである。現在、機械、紡績、化学、陶器建材の生産がおもな工業である。

[うおずみやき]魚住焼
 兵庫県明石市魚住町で、明治初年、西海音助が始めた赤褐色の粗陶。茶器を作る。

[うがやき]有我焼
 江戸時代、嘉永年間、尾張国(愛知県)名古屋の茶人増田三郎右衛門有我が、窯(かまど)を築いて焼いた茶器。

[うきぼたんで]浮牡丹手
 中国宋代の龍泉窯青磁によく見られる。牡丹唐草などの文様を浮き彫りまたは貼りつけたものをそもそも浮牡丹と呼んだが、今は牡丹文様に限らず、ほかの浮き文様でもそう呼ぶ。青磁の香炉、水指、花入にどに多く見られる。なお、反対に彫り文様のものを沈牡丹手(しずみぼたんで)と呼ぶ。

[うさん]烏盞
 烏のように真っ黒な釉が掛かった無文の天目茶碗のことといわれるが、はっきりしない。足利将軍家の室礼の書という「君台観左右帳記」にその名が見える。

[うし]烏只
 赤褐色で質の硬い素焼風の陶器。かめ、鉢など多種ある。於芝(おし)。おち。

[うしのとがま]牛戸窯
 鳥取県八頭郡西郷村牛戸で、天保年間(1830-1844年)金河藤七によって開かれた窯で、明治のはじめには各地に販路が開けていたが、その後瀬戸・美濃に押されて衰微していった。昭和のはじめ鳥取民芸館の故吉田璋也氏の目にとまり、民芸窯として新生した。

[うずくまる]蹲
 伊賀や信楽で壺の背の低い背丈からむっくりした形の小壺のこと。その形がさながら人がうずくまっているような形なのでこの名称がつけられた。本来、農家の雑器で種壷または油壷であったが、茶人が花入などに用いて珍賞された。

[ウースター] Worcester
 イギリスのイングランド西部、ヘリフォード・ウースター州の州都。セバーン川沿いに位置する。周辺の農産物取引や革手袋製造の中心地である。良質のウースター磁器とウースター・ソースでも有名。人口は8万9500人(1994年推計)。

[うすちゃき]薄茶器
薄茶をいれる器で、棗(なつめ)、薄器、薄茶入ともいわれる。材質は木地、漆器、象牙、竹、一閑張(いっかんばり)、籠地のほか、陶磁、金属製のものなどがある。形は、棗、中次、頭切(ずんぎり)、雪吹(ふぶき)の4種に大きくわけられる。とくに佗茶の趣意をあらわすと武野紹鴎に重んじられた棗は、利休によってさらにすすめられ、以後千家の茶には不可欠な茶器となった。「黒棗、武野紹鴎在判」「金輪寺茶器」「黒大棗、千利休在判」など、名品が多くある。

[うずみやき]埋焼
 物を熱い灰の中に入れて焼くこと。

[うずらで]鶉手
 陶器で、鉄分の多い土と少ない土とを練り合わせて鶉の羽のような褐色と白色とがまじった素地にしたもの。

[うずらふ]鶉斑
 鉄を含んだ黒釉が焼成中に部分的に酸化し、赤褐色の小班点が鶉の羽毛を見るように点々と表れたものをいう。

[ウースター]Worcester
 ロイヤル・ウースター(RoyalWorcester)。ジョン・ウォルター博士を中心に1751年、イギリスのハンドで開窯。1752年にウースターの町に移され、現在まで生産を続けている工房。ウォール博士たちは硬質の磁器づくりに尽力し、中国磁器の模倣により成功をおさめた。またヨーロッパ独特の風景や人物像のプリント手の磁器も、早くからつくられた。

[うためい]歌銘
 茶の湯の道具の銘が、和歌にちなんでつけられたもの。

[うちがいそかま]内ヶ磯窯
 高取焼の古窯。最初、高取山麓に開かれた窯が慶長19年(1614)に内ヶ磯に移され約15年操業したのち白旗山に移った。茶陶と日用の皿、鉢類を焼いた。

[うちがま]内窯
 邸内に設けて焼く小規模な窯。野外にある本焼窯に対し、庭内にある、楽焼などの規模の小さい窯。

[うちしぶ]内渋
 浅い鉢の内側だけ鉄釉を薄く塗ったものをいい、建水や灰器として使われた。

[うつし]写し
 古典の絵柄や形を現代の作家、工房が模倣して作ったもの。真面目に作られたものであれば格安でその雰囲気が楽しめるが、偽物として出回る場合もある。

[うつしえ]移絵
 水に溶ける糊(のり)を台紙の表面に塗りその上に逆になった絵や模様を印刷したもの。これを水にぬらして皮膚や紙、金属、ガラス、陶器などの表面にはりつけ静かにはがすと、印刷した部分だけが転写される。玩具などに応用。

[うつつがわやき]現川焼
 長崎市現川名で焼かれた陶器。元禄5年(1692年)に田中五兵衛が子の甚内と創業したが、寛保(1741-1744年)頃に廃窯。その作品は、非常に上作薄手で一見京焼風である。刷毛目 を効果的に利用し、絵付には白土、鉄、たんばん、呉須などをつかっている。現在、佐世保市の横石臥牛窯で復興されている。

[うつのみやさぶろう]宇都宮三郎
 化学技術者。尾張藩出身。幕末から明治初期の窯業界の功労者。耐火煉瓦や人造石を製造。また、陶磁窯の改良にも尽した。(一八三四〜一九〇三)

[うれしのやき]嬉野焼
 佐賀県南部の地名。嬉野川に沿い、長崎街道の旧宿場町。茶の産地。嬉野温泉がある。嬉野付近から産する伊万里焼の一種。褐色の粗土に黒釉のもの、また白刷毛目の上に褐、緑彩した絵の大鉢、大皿、大徳利などが多い。

[うのにんまつ]宇野仁松
 1864-1937年。陶工。清風与平に師事し、後にマット釉や辰砂の作品をつくった。また輸出貿易の振興にも努めた。

[うのふぐすり]卯の斑釉
 兎の斑とも書く。主に瀬戸地方で使用される白色不透明の頽釉(なだれぐすり)。土灰釉にイネ科植物の灰を混ぜたもので斑唐津や朝鮮唐津に見られる釉薬と同系統。

[うばがふところ]祖母懐
 愛知県瀬戸市祖母懐町。現今は「そぼかい」と呼ぶ。良質な陶土の産地。

[うばがふところ]祖母が懐・姥が懐
 瀬戸地方の土で作った茶入れの一種。

[うばがもちやき]姥ケ餅焼
 滋賀県草津市の街道茶屋であった姥ケ餅茶屋の主人が創始した陶器。茶陶と茶屋使用の雑器の二種がある。創始の年代については、元文(1736-1741年)頃と宝暦(1751-1764年)頃との説があるが、たしかなところは不詳。作品のなかでとくに黒楽茶碗は楽家の左入に託して焼いたといわれる。

[うまがたはにわ]馬形埴輪
 馬をかたどった埴輪。おもに五世紀以後の東日本の古墳から出土。埴輪馬。

うまのめざら]馬の目皿
 馬の目の文様が描かれた大皿や大鉢。瀬戸で18世紀中頃から明治時代初期までつくられた庶民の日用雑器。渦巻状の文様のある大皿で創始は明らかでない。瀬戸地方で日用品として盛んに焼かれたが、明治のはしめにほとんど絶えた。大正以来、民芸愛好家の目にとまり広く紹介された。

うみあがり]海揚り
 海に沈んだ船などから引き上げられた陶磁器などのこと。潜水技術が発達した近年、引き上げられることが多くなった。"汐くぐり"とも呼ぶ。

うらいしんべえ]有来新兵衛
 江戸時代初期の京都の唐物商で瀬戸、備前、信楽で茶入や水指などを指導して焼かせたとされる。瀬戸産の茶入で「丁」の窯印があるものは新兵衛の注文品と考えられている。

うらくさい]有楽斎
 1547-1621年。織田有楽。信長の弟。桃山時代から江戸時代初期の茶人。利休に茶を学び、利休七哲の一人となる。

ウルビノ]Urbino
 イタリア中部、マルケ州中部の古都。現在は観光地、また農産物の集散地として知られ、近郊のカステル・ドゥランテは、ルネサンス期のマヨリカ陶器で名高い。おもな見どころに、15世紀にたてられ、今はマルケ国立美術館になっているパラッツォ・ドゥカーレがあり、この地に生まれたラファエロや、ピエロ・デラ・フランチェスカの作品が展示されている。人口は1万5170人(1994年推計)。

うれしのやき]嬉野焼
 佐賀県嬉野付近から産する伊万里焼の一種。褐色の粗土に黒釉のもの、また白刷毛目の上に褐、緑彩した絵の大鉢、大皿、大徳利などが多い。

うわえがま]上絵窯
 上絵付けに使用する小型の窯。絵窯。上絵付窯。錦窯(きんがま)。

うわえつけ]上絵付け
 本焼した後に、赤、黄、緑、紫などの上絵の具で模様を描き、低温度(約800℃)で焼き付ける技法。赤絵、色絵などはほぼ同意義語。

[うわぐすり]上薬・釉
 陶器、磁器の表面に被覆されたガラス質の薄い膜。水の漏れを防ぐ役割と、色調の多彩さにより装飾的な役割がある。長石釉、アルカリ釉、石灰釉、イス灰釉、鉛釉、亜鉛釉、食塩釉などがある。

うんかくもん]雲鶴文
 飛雲舞鶴の押印もしくは象嵌の模様。高麗青磁や三島などに多い模様。

うんきんで]雲錦手
 一つの器に桜と紅葉の文様を一緒にあしらった色絵ものをいう。乾山や仁阿弥道八の雲錦文鉢が有名。
うんげやき]雲華焼
 土風炉師のつくった香炉、香合などで、灰茶色の素地に、黒褐色の窯変のある手。

うんさい]雲彩
 中国の清代乾隆年間に、景徳鎮の窯(かま)で焼いた磁器で、五色の釉(うわぐすり)が雲のように入り乱れたもの。

うんざんやき]雲山焼
 江戸後期、文化年間に、佐渡相川の人、伊藤甚兵衛が始めた陶器。

うんしゅうくらちょう](雲州蔵帳)
 雲州松江藩主松平不味侯が収蔵した茶器、軸などの名品のこと。

うんしゅうやき(雲州焼)
 ⇒いずもやき(出雲焼)。楽山焼(らくざんやき)、布志名焼(ふじなやき)、袖師焼(そでしやき)など、出雲国から産する陶磁器の総称。

[うんすけどくり]雲助徳利
 主として九州地方の窯で焼造された焼酎を入れるのに用いた徳利。肩に注ぎ口がある。

うんどう]雲堂
 中国明時代に景徳鎮の民窯でつくられた染付磁器。雲と楼閣の絵付のある香炉や火入の類。茶人によって茶碗に転用し珍重された。

うんも]雲母
 珪酸塩鉱物。花崗岩に含まれている。耐火性に優れ、弾力性に富む。

うんやだい]雲屋台
 雲中に楼閣、屋台などを表わした模様。錦または磁器などに用いられる。

浮牡丹(うきぼたん)
青磁などの器肌に、張り付けの浮き模様のあるものを呼ぶ言葉。
その場合必ずしも牡丹の文様に限らない で、唐草文様などの浮き模様のことを総称する。
主として中国の宋時代から明時代にかけての作品に見ら れる。

薄板(うすいた)
花生をかざる際に、その下に敷く板のことで、それぞれの約束により使用される。
これらの約束事とは、花生の性質と形態によって決められている。例えば古銅や青磁花生には塗りの矢筈板が使われる。

蹲(うずくまる)
信楽などの小壺で底が大きくて、その様子が丁度人が蹲っているように見えるところから付けられた名称 。
農家の豆入れや茶壺、油壺に使われたものである。茶人の好みから花生に転用された。

現川(うつつがわ)
長崎県諫早市の焼き物で、元禄年間に矢上村現川に興った窯である。元禄から約50年間続いて廃業し、
その後明治期になって再興されている。後年の作には現川の窯印を用いているが、古作のものには見あたらない。

卯花墻(うのはながき)
国宝志野茶碗。名物「山里の卯花墻になかつみち雪ふみわけし心地こそすれ」の和歌が箱の裏に書かれて おり、
雪のような白釉とそこに描かれたばがきから、この歌銘が選ばれたものと思われる。

初生口(うぶくち)
蔵出しの意味。収集家の手から直接業者のもとへ出たとか、蔵出し品の売立会で仕入れてきたばかり などの意味もある。

馬の目皿(うまのめさら)
縁に書かれた渦巻き文様が馬の目に似ているところから呼ばれた名前。瀬戸で焼成された雑器皿で、
18世紀の中頃から明治初期まで製作されたと思われる。大正年間頃より、民芸運動の人々に取り上 げられるようになった。

海揚がり(うみあがり)
瀬戸内海の海底より引き上げられた古備前の総称である。長年の間、海底の泥の中に埋もれていたた めに状態も良く、
味わいのある磁肌が人気を呼び、特に徳利などの酒器が好事家の間で人気がある。

裏箔(うらはく)
絵絹の裏に金箔の貼ってあるあるものを呼ぶ。金色の調子が柔らかな感じとなる。
時代物の仏画など は一部分を裏箔したりするが、明治時代以降に製作された屏風に見られるような、全面裏箔もある。

売り立て(うりたて)
 古美術品を売る場合は、品物を陳列公開して下見を行い、その後に入札や競り売りによって売り立 てするのが普通である。
欧米のオークション会社に対して、日本では美術倶楽部が盛んである。

上絵付(うわえつけ)
釉薬を掛けて本焼きにした後に色絵の具(色釉)で文様を施す事、本焼きをした釉の上に絵付けされるにでこう呼ばれた、
用いられる具は、上絵の具とも呼ばれる、色絵や金銀彩などは上絵付けである。

上薬(うわぐすり)
釉薬とも言う。焼き物の表面を覆うガラス質の層。釉を掛ける事で焼き物は、強度と滑らかさを増し、吸水性をなくし、装飾ともなる。

雲鶴(うんかく)
飛雲舞鶴を主として文様をを指す。普通、骨董の世界で雲鶴といえば、十二世紀頃から製作された 高麗青磁の象嵌手をいう。
上手のものは高麗秘色(ひそく)と呼ばれ大事にされている。

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永楽焼き(えいらくやき)
世間では永楽善五郎と呼ばれる京都の名門。初代の西村善五郎は天文年間(1531年頃)に春日神社 の土器を製作する。
跡に代々土風呂師(どぶろし)の系譜を継ぎ、境から京都に移り住んで名人と 称された。

絵唐津(えがらつ)
唐津焼きで鉄絵が描いてあるもの。絵は草花文が多く雅趣に富んでいる。器は茶器、皿、
鉢など各種にわたっている。名物茶碗としては、秀吉が焼かせたといわれている薮内家伝来の菊桐文の 茶碗がある。

絵高麗(えこうらい)
中国の磁窯系統の焼き物であるが、昔は朝鮮より渡来したために、高麗物と考えてこう呼ばれた。
作風は粗雑な白磁の肌に鉄釉をもって簡素な文様を描いている。季朝の鶏龍山も同じに呼ばれる事がある。

猿猴捕月(えんこうほげつ)
手長猿が片手を岸辺の枝につかまり、一方の手で水面に映る月をとろうとしている図を呼ぶ。
この図は仏教から出たものでみだりに大望空想を描くことを風刺したものと言われている。

遠州七窯(えんしゅうななかま)
小堀遠州の好みを受けた茶器を焼いた七つの窯を呼ぶ言葉。遠州の志戸呂、近江の膳所、
山城の朝日、大和の赤膚、摂津の古曽部、筑前の高取、豊前の上野がこれに当たる。 何れも江戸初期の作風をうける

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鬼桶(おにおけ)
古信楽の桶型の筒水差を呼ぶ。元は農家で婦人が紡いだ糸をかけて巻いておく緒を入れておいた桶で、
緒桶と呼ばれていた物が緒と桶となり、やがて鬼桶に転じられた。殆どが信楽焼きの作品である。

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海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)
唐時代に製作された白銅鏡の代表的なもので、鏡の背面の文様が、
正体不明の海獣と葡萄草文で構成さ れている。日本に舶載されたこれらの唐鏡を模して、奈良時代には数多く作られた。

かいらぎ
井戸茶碗の腰の辺りから高台にかけて、釉薬がちぢれてうろこ状になっている様子を呼ぶ。
かいらぎとは刀の柄巻に使われる蝶鮫の皮のことで、釉薬の様子が似ているところからよばれる ようになった。

花押(かおう)
印鑑の変わりに判を書くこと。書判(かきはん)とも呼ばれる。自筆のサインが草書体になり、
さらに絵模様になったものが花押である。一生に一種類の花押を使うとは限らず数種類を持った人が多い。

角福(かくふく)
柿衛門様式の磁器に主として見ることができる器底の銘で、四角形の枠の中に福野路を書き入れてある。
「福」が草書体で書かれている場合、字体が渦を描いているように見えるところから、「渦福」 とも呼ばれる。

片口(かたくち)
鉢の片方に注ぎ口のあるもの。本来は酒は汁を瓶に移し替える時に使用した器であるが、
寸法が手頃なところから、漬け物鉢などの食器に使われた。片口を取って茶碗に仕立てたものを、 放れ駒と呼んでいる。

片身替り(かたみがわり)
茶碗の釉薬が白と黒とか灰色と茶色のように左右に掛けわけて施されているものを呼ぶ。
片身替りの文字を当て、初期の頃は窯の中で自然釉が降ったりして偶然に出来たが、
そのデザインの面白さに人為的に釉薬を掛けわけて作るようになった。

型物香合(かたものこうごう)
安政2年(1855年)に発行された型物香合相撲番付に記載されている香合の事で、主な特徴は、
型抜き法で製作された陶磁器の香合であり、茶事に使えなければならない。ただし数点の塗物も 含まれている。

窯きず(かまきず)
人為的で出来た庇ではなく、焼き物を焼成中に窯の中で自然に出来たきず。ホソやソゲ等が
製作過程で生じ、そのまま釉薬によって被われるため、きずの上に釉薬の掛かっている状態が ほとんどである。

窯印(かまじるし)
共同で窯を使用する際、製品を取り出してから混乱を避けるために、
それぞれの作品に付けた独特のマークのこと。備前の窯印は特に多く見られ 作品の年代を知る手掛かりにもなっている。

唐物(からもの)
中国伝来の品物の呼び名。古くからの呼称ではあるが、 特に室町時代に舶載された茶道具類や織物が呼ばれ、
中でも金襴や織物などが唐物と称された。 江戸時代には唐物屋(とうぶつや)の屋号が広まった。

貫入(かんにゅう)
釉に入ったひびの事。焼成したとき、素地と釉の膨張収縮率異なると出来るといわれる。青磁や白磁では装飾の目的で造られる事もある。

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綺麗寂(きれいさび)
小堀遠州の茶の湯に対しての好みを現す言葉とされている。それを現代の感覚で言い表せば 、
寸法に無駄がなくて、張りのある構成で、清潔感に満ちあふれて華麗さということになる。 センスのよさともいえる。

金繕い(きんづくろい)
キズの部分を補修した上に金漆を施す修理法。昔から茶道具や抹茶の茶碗などに施され、
修理した金漆の線の様子が景色となって鑑賞されている。

【く】 TOPに戻る

口紅(くちべに)
器の口縁に茶褐色の鉄釉を施したことを言う。柿衛門系統の磁器などに多く見られ、
比較的上手のものが多い。口紅は器全体を引き立たせる効果がある。別に縁錆(ふちさび) とも呼ばれることもある。

国焼(くにやき)
瀬戸以外の諸地方で焼かれた茶器を呼ぶ言葉。和物茶入れの分類の仕方では、
瀬戸を本窯として他を国焼と称して分けている。ただし、京都で焼かれた茶器は、 別格として国焼へ入れていない。

くらわんか
有田で焼成された古伊万里の一種で、普通は茶器のことを指す。
使い捨ての器と呼んで言う程の雑器だが、それ故風格があり、 胎土もぶ厚くて手取りがずっしりと重く、
絵柄も素朴である。 製作年代は江戸時代の中期から後期に掛けての頃が一番盛んであった。
一般に文化文政時代の作品であると考えられる。 大阪淀川に船を浮かべた一膳めし屋がこの茶碗に雑炊を盛り、
行き来する旅人に 「めしくわらんか」と呼びかけたことに由来する。

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景色(けしき)
茶碗や茶入れなどの釉薬に現れた変化のことで、品物を鑑賞する場合の見所の一つになる。
高麗茶碗などの磁肌に現れてくる景色は、使い込むのしたがって出てくる味わいであり、
自然釉は窯の中でつくられる景色である

下駄印(げたいん)
信楽や伊賀等の高台に、下駄跡のように二条の跡を残すものを呼ぶ。
凸凹の具合によって出下駄とか入下駄と呼ばれる。これらの下駄印は、
轆轤(ろくろ)台のつくりが不完全だったために器底に残ったものである。

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古赤絵(こあかえ)   古赤絵の古は必ずしも古いという意味ではない。古渡りの意味を多分に含む古であって、
明の中期から末期にかけて、景鎮徳や中国南部で焼かれた輸出用の赤絵である。
赤、黄色、 緑を用いて、染付は使われていない。

交 趾 (こうち)

 現在は磁器にも同じ手法で作られた物もあるが三彩の一種の軟質陶器。
インドシナつまりインドとシナの中間を指し、昔交趾支那(こうちしな)と呼んだ。
現在のベトナム近辺である。貿易船でそちらから来る形態陶器を交趾と称した。
形成後、文様を堆線(区切りを付ける)で区切り、釉薬が混ざらないように配色する。
緑、紫、青、黄、茶等の色がある。初期香合に優品が多く異国情緒もあって珍重された。
中国では、法華と呼び清代には大作がある。主体に七宝を金属でなく、
陶磁器で焼成したもの。                   

呉須(ごす)
染め付けや瑠璃釉など藍色の呈色剤となる酸化コバルトの事。名称の由来は中国や東南アジアの交易地による
と言われる、呉須赤絵、呉須染め付けと呼ばれ中国明末の一群の磁器を総称して呉須手と呼ぶ。
古月軒(こげつけん)
中国清朝の雍正(ようせい)から乾隆(けんりゅう)にかけて焼成された、
極上な粉彩磁器のことで、古月軒は清朝宮廷内の一建造物の名前である。
薄い磁胎に緊密な洋風の絵画を描いている。すべての作品は小品である。

熊川(こもがい)
高麗茶碗に一種である。釜山近くの洛東江河口の熊川港より船積みされたために名付けられたと 言われている。
古茶書には咸鏡道(かんきょうどう)の熊川なる所の製品とも書かれている。 作行きによって真熊川と呼ばれるものもある。

古渡り(こわたり)
渡来年代の区分法は、それぞれの品物によって年代に差がある。名物裂の場合は、
室町時代末期頃の渡来品を古渡りとよんでいる。陶磁器界の分野では、
小堀遠州時代以前の渡来を指している。

古染め付け(こそめつけ)
中国明末期の民窯品、器の周辺部に虫食いと言われる釉薬の欠落がある。我が国より注文したとの説や日本向けと思われる
物が多い。

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