酒井田家に伝わる注文絵型

観桜の酒宴に伊万里の鉢が使われています、
花魁の文様は更紗みたいですね
鉢という語は本来、仏教の僧侶が托鉢に伴った鉄鉢(てっぱつ)
を意昧する梵語からきている。
しかし古くから、日本では皿よりも深く、
口の開いた器形をさす語として広く使われている。
猪口が、飯碗や鯵皿などとともに、
膳にのせられて使用された図などがある一方、
鉢の場合、膳形式の説明図には登場しない。
むしろ酒宴の図や、盆もしくは折敷(おしき)にのせられて、
これから取り分けて給仕される場面が描かれている、
この傾向は大皿にもあり、鉢には複数の人々の食が盛られた。
料理としては、汁けの多いものが盛られたようで、
その代表が煮物料理であった。例えば『料理早指南』
では鉢肴として鯛の煮物料理の例が紹介されている。

観桜酒宴図 歌川豊広(1800年代)

縞揃女弁慶松の鮨
歌川国芳
1830年から50年代
東京国立博物館蔵
この頃から鮨が食卓に出てきました。
下の画像が大きくした物です。


歌川国貞
嗽碗を持っているところ、鉄漿(お歯黒またかねつけとも言います)
明治の頃まで続きました。

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